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江戸時代の武士が住んでいた家にはこんな特徴があります

      2015/11/22

江戸時代の武士が住んでいた家にはこんな特徴があります

江戸時代の武士のことなら時代劇などに出てくるのである程度のことは知っている人はいるでしょう。

しかし、彼らが住んでいた家についてはどうでしょうか?

多くの人が詳しくは知らないのではないでしょうか?

今回は、意外と知られていない江戸時代の武士の家について紹介しましょう。

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江戸時代の武士が住んでいた家が広い理由

江戸時代には、ごく一般的な旗本でも、千坪ほどの広さに家に住んでいました。また、大名ともなると東京ドームなみの広さの家に住んでいました。羨ましいと思う半面、どうやってそんな広大な敷地を掃除していたのだろうと、余計な心配をしてしまいます。

今の東京で千坪の家に住むのはよっぽどの人でしょう。ちなみに、亡くなった田中元首相のいわゆる目白御殿は千七百坪ありました。あの目白御殿でさえ千七百坪なのですから、東京ドームなみに広さの家に住んでいる人はまずいないでしょう。ちなみみ、東京ドームの建築面積は一万四千坪です。

このように、江戸時代の武士が住んでいた家が広いのは当時の江戸に土地が余っていたからなのでしょうか?

たしかに、当時の江戸は土地がありました。そのうちの七割を武家地が占めていました。その内訳は、大名屋敷が四割、大名に仕える武士の屋敷が三割でした。その七割の残り三割の半分が寺社地、もう半分が町人地でした。

江戸時代の武士には家の定員があったのか

江戸時代の武士には家の定員があったのかどうか。これを知っている人は少ないでしょう。

一応、定員というものはありました。ただし、幕府から与えられた軍役の義務を果たすためのもので、最低限必要とされる兵員は決められていました。いわゆる下限といえるでしょう。

では、上限はなかったのでしょうか?これについては、上限といわれるものはありませんでした。しかし、大名にとっては家来の数が増えてしまうと食わせるのに苦労することになるので、数が増えないようにしていました。

基本的に、侍というのは分家をしません。そのため、男の子が多く生まれた家は、次男から下の男の子の処遇に苦労することになります。

最も多いのが、養子に出すことです。江戸時代は長男が家の跡を継ぎました。そのため、男の子の居ない侍は男の子を養子にもらうことになります。

次に多いのが、江戸ではなく郷土に養子に出すことです。男の子という働き手が欲しい家は多くありました。

この他にも、荒地に入植させるという、少々乱暴な方法もあったようです。

武士の家に生まれて武士にならなかった人はいたのか

武家の家に男の子として生まれた子供が全員武士になったいうわけではありません。

先に説明したように、基本的に分家をしない侍の家に男の子が多く生まれた場合、次男から下の男の子の処遇に苦労することになります。中には、養子として侍になる子供もいました。しかし、そうでない子供もいます。では、彼らは武士の代わりにどのような職業についたのでしょうか。

多いのが僧侶になるということです。武士には武芸が求められます。でも、僧侶にはそれは求められません。武芸が不得意な子供には僧侶は合っていました。しかも、勉強が好きな子供ならなおさらです。まさに、僧侶は適職だといえるでしょう。

これ以外にも、神主さんのところへ養子に行った例もあります。また、医者になった人もいます。

いずれにしても、武士が増えれば彼らを養うことになる旗本や大名にとっては重い負担になってしまいます。こうして、武士以外に転職することによって武士の世界が守られてきたという一面もあります。

上級武士と下級武士の家の違い

ここで、上級武士と下級武士の家の違いを見ることにしましょう。

上級武士

江戸時代、武士が住む家にも厳しい決まりがありました。まず、立派な門と玄関を持つことです。そのため、上級武士の屋敷には立派な門と玄関があります。そして、屋根は瓦で覆われていました。部屋のなかには畳が敷かれ、立派な床の間に壁は朱色などに塗られていました。また、お客を迎える客間も豪華に装飾されていました。その他にも、上級武士は、多くの家来がいるので彼らと合うための大広間も必要になりました。金持ちの象徴でもある、大きな庭も屋敷内に造られていました。

下級武士

上級武士は立派な門を持つことが決められていました。しかし、百石以下の下級武士は門を持つことが許されませんでした。また、下級武士は上級武士のような瓦を使うことはできませんでした。そのため、瓦の替わりに板を敷き詰めて雨をしのいでいました。そんな板が風で飛ばされないように石を乗せて重りにしていました。

このように、同じ武士でありながら、上級武士と下級武士では住む家が違っていました。いまでいうところの格差社会です。

江戸時代の武士には適性検査があったのか

武士というのは基本的に軍人です。軍人として家を継ぐのであれば、なんらかの適性検査がある考えるのが自然です。では、江戸時代の武士には適性検査があったのでしょうか。

長男に重度の障害がある場合は、軍人としてではなく武士になることは無理です。そのときは、親や兄の家に留まっている部屋住みとなりました。

このような例を除いて、ほとんどの長男は家を跡を継ぐことができました。

まとめ

江戸時代の武士の家にも人々に知られていない特徴というものがあります。初めて知ることも多かったのではないでしょうか。時代劇でここまで詳細に描写しているドラマは少ないからでしょう。もっとも、最近はその時代劇も少なくなってしまいましたが。

江戸時代の武士はいまのサラリーマンと同じようなものです。宮仕え身として、辛い思いもしてきたことでしょう。たまには、忙しい日々のことを忘れて、こうして天下泰平だった江戸時代の武士に思いを馳せてみてはどうでしょうか。

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